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今こそ賀川豊彦を考える
今回 <「賀川豊彦のお宝発見」その3> として新しく紹介して置きたい 「新聞記事にみる賀川豊彦」 は、新聞各紙に寄稿した賀川豊彦の作品ではなく、賀川豊彦とその働きを取り上げた「新聞記事」の一部である。
それもここで取り上げる新聞記事の殆どは、「神戸新聞」「神戸又新日報」「大阪毎日新聞神戸付録」など限られた新聞のマイクロフィルムから取り出したもので、判読も困難なものが多い。
そしてその期間も 「1910(明治43)年~1963(昭和38)年」 としているが、空白期間も多く全く不完全なものである。実はここに収める新聞記事は、縁あってこれまで賀川関連の拙い作品3部作
『賀川豊彦と現代』(1988年) 『賀川豊彦再発見』(2002年)『賀川豊彦の贈りもの』(2007年)を仕上げる上で参考にしてきた手持ちの資料の一部であり、今回新たに発見したものではない。
賀川豊彦の場合、新聞記事も国内のみならず世界の報道記事を集めれば無数になる。とりあえずは「新聞記事に見る賀川豊彦」神戸版の一部としてご覧頂ければ有り難い。
(2011年3月10日記す。鳥飼慶陽)
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新聞記事に見る賀川豊彦 - (01)
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※新聞記事のテキスト化は、語り部の方にご協力いただきました。
記録
絶版のテキスト化
講義録
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賀川豊彦と同志社の関係について -
賀川豊彦と関西学院の関係について
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賀川豊彦と明治学院の関係について -
聖書に生きる―賀川豊彦
賀川豊彦の作品「序文」
未来への冒険(ブログ掲載記録)
吉田源治郎・幸の世界
吉田源治郎は、賀川豊彦と共に歩んだ協働者の特筆すべき人物の一人である。 正直なところ、吉田源治郎といえば、賀川の重要な講演を筆記して『イエスの宗教とその真理』や『イエスの自然の黙示』 など多くの著作を仕上げていった人物として、また大阪四貫島セツルメントや西宮一麦教会・ 甲子園二葉教会の創設者として知っていた程度であった。 これまで「吉田源治郎の人と生涯」を語れるような基礎知識は持ち合わせていなかった。 ところが不思議なご縁で、本年(2010年)4月、 吉田源治郎のご子息・吉田摂氏と一麦保育園顧問・梅村貞造氏のご好意で、「吉田源治郎の世界」に魅せられる事になったのである。
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KAGAWA GARAXY 「吉田源治郎の世界」を訪ねる~吉田源治郎・幸の世界